「勉強」に対する考え方の違い
こんばんは。
サブローです。
最近受験シーズンなので、学生時代の勉強について妻と話すことがあります。
その時ふと思うのが、勉強ができるってどういうことなんだろう?ということです。
私は高校時代文系で大学受験しました。
文系は大学にさえ入ってしまえばほとんど勉強しなくていいことが多いので、
私も含めて卒業後はほとんど勉強したことは忘れてしまう人がとても多かったのを覚えています。
あらためて勉強した内容を振り返るとひたすら暗記が多かった気がします。
世界史でたとえるなら、東ローマ帝国の滅亡は西暦何年かなどをひたすら覚えてきました。
もっとも私は歴史が大好きなので、趣味のついでに面倒臭い事柄もついでに覚えるような感じでやっていましたが 笑
こういった昔の受験生時代の思い出を妻に話したところ、それって本当に勉強なのかな?そもそも勉強って何?という議論になりました。
デンマークではこういう歴史の勉強についてはこう考えるようです。
東ローマ帝国の滅亡のような出来事は、事実なので調べれば誰でもその事実を知ることができます。
なので東ローマ帝国の滅亡の年号を覚えることそのものに意味はありません。
そんなみんな誰でも知り得る情報を基にその当時の時代背景を分析したり、ある情報や事実に対して何を考えるか?というところの分析などを勉強と考えているようです。
数学に関しては、ある程度のレベルまでに進むと電卓の使用を許可されるそうです。
その先は計算力というよりは回答にたどり着くまでの考え方つまり過程を重視するからなんだそうです。
確かに私は学生時代勉強ができるイコール頭が良いというような認識が周りにあったと思います。
しかし実際社会に出ると周りの認識としては勉強ができるイコール良い大学とか高学歴までには結びついても、頭が良いということに関しては仕事ができるとか違ったものと結びついてくるようになった気がします。
特にこの時代、知りたいことはかなりの事がgoogle検索で回答が出てきてしまいます。
ただ、中にはあいまいなものや非常に偏った意見などが含まれているものもあります。
そういった情報を複数処理しながら最適な答えを探し出し、自分はどうすべきかを考えて行動していく、そんな能力こそこれから求められる勉強なのではないでしょうか。
そう考えると、私は社会人になって受験勉強時代の何倍も頭を使っています。
受験生の時代も社会人になって忙しい時も辛いことは同じですが、考える量と質がまったく違います。
たしかに浪人や受験のプレッシャーなど精神的なところで今にも役立つ経験はしてきました。
ただ、考え方などもっと実用的な部分は社会人として学んできたものが9割くらいだと思います。
私が小学生や中学生のころ、ここまで大量の情報が溢れ世界との距離が縮まる状況は全く予想していませんでした。
ここまで世の中は変わっているのですから、これからの子供たちが取り組んでいく勉強にももっと変化があっても良いのではないでしょうか?
なんかとてもマジメな内容になってしまいました 笑
いつも妻とはのんびり冗談を言い合うことが多いのですが、受験勉強の話が盛り上がってこんな会話になってしまいました。
今回はこれで終わりたいと思います。
次回もよろしくお願いいたします。