被害者文化の恐怖
こんばんは。
マリアです。
今日はまずデンマークの記事を紹介します。
実は今日書く内容は、私がここ最近ずっと心配していたことなんです。
きっかけはデンマークの政治家が書いた記事でした。
というわけで、まずはデンマークで話題になっている記事を紹介したいと思います。
Offerkultur er et åg for den vestlige verden – Politiko
長い文章なので、日本語で大事なところをまとめてみました。
・アメリカでは自称エリートの一部がトランプ当選で大げさに騒いでいる
トランプ当選のショックで教授が授業を中止したり生徒も出席をやめるなど。
・保守派には被害者意識は根付かない
自分が苦しい時も被害者意識よりも自分の決断と勤勉さで乗り越えようとする。
・性差別など様々な被害者がどれが最もかわいそうか競い合っている
その結果自分でできるはずの人間が誰かの助けや解決策を要求するようになる。
自分の被害者としての立場を強調することにばかり集中して他者への思いやりを失う。
・被害者であれば誰かが何かするべきなので、自分は何もしなくて良いという意見が拡大している
過剰な被害者意識の拡大は本来注目すべき問題を見えなくして最も助けられるべき人が助けられなくなってしまう。
同時に、十分ひとりでなんでもできるような人々が自分の力で行動することをやめてしまう
・そしてただでさえ余裕がない国をさらに厳しい状況にする原因となる
このような問題がアメリカやヨーロッパで流行している。
まとめるとこんな感じです。
以前夫もデンマークの問題に関して似たような記事を書いていました。
この記事でも、大げさに騒いでいるのは自分たちの事を弱い、かわいそうと思っている、思ってほしい人たちです。
確かに人それぞれ状況は違います。
でもどこの国でも生活保護など様々な政府からの手当てを受けている人たちは、その分毎日頑張って必死に稼いでいるふつうの人たちにその分を払ってもらっているということをしっかりと意識するべきです。
これを当然と思って利用するのはおかしいです。
苦しい事があっても毎日諦めずに真面目に働く人たちが本当にかわいそうです。
そして、もうひとつの問題点は被害者を手伝うと言いながら問題を過剰に騒ぐ一部の支援者の存在です。
こういった支援者の存在は問題をさらにややこしくします。
例えば、ある問題をかかえている人たちについてその支援者が大騒ぎします。
でも本当はその人たちは自分で乗り越えられる問題だと思っていたのに、その支援者のせいで問題が勝手に拡大されて本当に問題を抱えている人もそしてまわりのふつうの人たちにも迷惑をかけてしまうことがあります。
そして、その問題が大きく騒がれたせいで本当に助けが必要な別の問題が忘れられてしまうこともあります。
きっとその支援者は大勢に迷惑をかけて良いことをしたと大満足なんでしょうが。
こういった変な支援者は大体がお金か注目が目当てでしょうか。
そして、自分もその被害者ということでトクするからと立場を利用する人も出てきます。
支援者は弱者を助ける正義の味方気分なので、賛成しない相手を悪と攻撃したりするようにもなります。
その結果、それを見たふつうの人たちはその問題の被害者全体にまで悪いイメージを持ってしまう可能性があります。
最近ネットで見かけたポリコレ棒という言葉はまさにこういった事から生まれたんではないでしょうか?
日本でも最近はこういった被害者意識を利用した動きが目立ってきていると感じています。
以前からあるものは女性差別でしょうか。
本当に男女平等を目指す国に女性専用車両は必要ありません。
強制的に女性を雇う仕組みも、女性の管理職を無理やり増やす政策も必要ありません。
北欧のように女性の政治家がたくさんいないのは問題だ、女性差別があると言う人はこういったところから見直さなくてはいけません。
もしやったとしたら大問題です。
男女平等なはずなのに、今度は男性を差別してしまうわけですから…。
日本ではこれからは外国人差別をなくす運動が流行るんでしょうか?
もうすでに、この動きは私は何度も見てきました。
今回は詳しいことは書きませんが、同じ外国人として先にそして何度も言っておきます。
日本にそこまで問題にする外国人差別は一切経験した事がありません。
こういった被害者と騒ぐ事で自分の利益を得ることとそのやり方の拡大は、被害者文化と言えるほどではないでしょうか?
私は女性で日本では外国人なので、ちょうど日本で騒ぎやすい被害者に2つも当てはまりそうなのでハッキリと書きました。
きっとこれを夫が書いたら、男尊女卑の外国人差別主義者ということになるかもしれませんね 苦笑
厳しく色々書きましたが、本当に助けが必要な人を無視してはいけません。
同じく、助けが必要という人たちも気をつけてほしいところがあります。
まず助けを求める前に自分だけで解決できそうか、自分でできる事を先にちゃんとやっているかどうかということです。
そして、その前にもっと自分よりも助けを必要とする人たちが他にいないか考えて欲しいです。
最後に、それでも必要な人たちを私たちは絶対に無視してはいけません。
その時は問題を抱えている人も、国やまわりに任せるのではなくて一緒に解決するように取り組むべきです。
ヨーロッパではこのような被害者文化は大きな問題となっています。
私は同じくこの問題が日本では外国人や女性の過剰な特別扱いに利用される事をとても心配しています。
日本で外国人差別にこういったやり方が利用されている事に関しては、別の記事で詳しく書きたいと思います。
差別のある世界が息苦しいはずなのに、差別をなくせと大げさな主張をする一部の人のせいで逆に社会が息苦しくなるような世界にならない事を願っています。
それでは次回もよろしくお願いします。
おやすみなさい。